このカテゴリーで記事を書くのは久しぶりな気がします◎

つい先日、

エドガー・ケイシーの人生にフォーカスしたドキュメンタリー映画、

リーディング〜エドガー・ケイシーが遺した、人類の道筋〜

を見てきました。(白鳥哲監督作品)

先に公開された関東地方では満席が続出するなど、
関心の高さをうかがわせていました。

関西では十三の小さな映画館での上映でしたが、
上映1時間前から行列が。。

どうやら上映の50分前から引換券を配布し、その順番通りに
チケットを購入(あるいは前売り券と交換)するとのこと。
早めに行ってよかったです◎

エドガー・ケイシーという方のことは、ひまし油湿布など、
エドガー・ケーシー療法というのが
あるのを知っていた程度でしたが、
今回の映画はなんだか公開前から気になっていました。

詳細が気になる方は是非映画館に足をお運びいただきたいのですが、
エドガー・ケイシーさんという方は、当時の医療では解決できない症例の方への
対処法・改善策や病気の原因について、催眠状態に入った状態で答えていたそうです。

催眠状態に入りながら、相談者さんのことを透視していたような感じなのかなと思います。
(解釈が間違っていたらすみません。)

 

で、、

この映画と今日のテーマ、「執着を手放す」が
何の関係があるかといいますと。。。

 

映画の後半で出て来た言葉がとても印象に残ったのです。

 

「祝福の水路になりなさい」

 

この言葉を目にした時、なんだかとても心の奥まで届いたような感じがしました。

(ここから先はあくまでも私の個人的な感覚です。)

人は皆、本来、祝福の水路となりうるものなのでしょう。

ですが、人からの評価や見栄、過剰なこだわり、思い込み、囚われにより

その水路に滞りが生まれ、うまく循環できなくなってしまいます。

この状態が人間関係のトラブルや悩みや病気の原因となり、人を苦しめます。


そんな状態から解放され、祝福の水路となるためには、
執着を手放すことが
大切なのだろうと感じました。

 

生きて行く上での自分なりのこだわりや指針はある程度は必要なのでしょう。
そうでなければ個性も生まれないでしょうし。

ですが、それを超えた過剰なこだわりや囚われは、結局は自分を苦しめる
だけなのかもしれないなぁと思います。

自分のこだわりだけではなく、過去に人にされたことに対して
いつまでも根に持ったり悔いたりすることも執着といえるかもしれません。

もちろん、とてもひどいことをされても受け流しなさいとまでは言いません。

 

でも、自分の中である程度消化できたら、自分の元から手放して、

「あれはあれでよかったのだ」

と思えるようになれたらいいですね。

 

映画を見た帰り道、駅に向かって歩きながら、

大阪のおばちゃんは、相手を笑顔にしたいから、

あめちゃんを配っているのかもしれないなぁ。。。と

ぼんやり考えていました。

 

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